昔話 1.5 寄り道

新宿1時発、最終品川行き

 

馬鹿みたいに昔話をしても仕方がないのだが、書いてしまった以上どこかで終止符を打ちたいので書く。

 

昔は…というほど昔でもないのにその列車がないだけで時間を感じてしまう。

かつて自分が高校に通っていた頃、新宿発の山手線内回りの最終列車は1時ちょうど発の品川行きだった。それが大崎行きに変更になり、0:41の大崎行きが最終になっている。

どうせそのうち大崎止まりになると思ってたし、使わなくなってから変更されて内心ホッとした。

高校生が1時まで新宿で何をしているのかはこの回か次の回で書く。

 

品川が最寄り駅かのような表現をして申し訳ないが、最寄り駅は品川シーサイド、若しくは天王洲アイルだった。JALビルやバンナムの本社、楽天(今ではBIGLOBE)などの本社が建ち並ぶあの辺りに住んでいた。

なので深夜に帰ってもどのみち少しは歩くことになる。気持ち早く帰れれば深夜バスに間に合うかなくらいで、わざわざ高い金を払ってりんかい線に乗ったりはしなかった。

 

普段は品川駅までバス通学で、今少し話題になっている品川駅の社畜ロードを毎日歩いていた。今だったら気が狂いそうだが当時はなんとも思わなかった。別に満員電車だろうが関係なく。

 

前回の記事を書いた自分がどこまで書こうと思ってたのか思い出せないが、粗方高校2年目まで書こうと思っていたのだろう。

 

2年目の春、特になにか変わるわけでもなく、相変わらず品に欠ける人間のままだった。

それを変えるきっかけはいくらでもあったが、居心地の良さに甘えて怠けていた。

 

特段勉強ができるようになったわけでもなく、軽音に入ったからと言ってギターが上手くなったわけでもない、バイトはボチボチやって…平凡な定時制高校の高校生と変わらない生活。

でも機械イジリやものづくりの分野に関しての熱が冷めることはなかった。Arduinoやその互換機をひたすらに触り続け、せっかく音楽も部活でやってるんだからとエフェクターも見様見真似で作ったりした。卓なんかも人並みにいじれるようになり、ギターのリペアも行きつけのリペアショップから技術を盗みなんとか身につけた。

そんなことやってたら後輩が入ってきて、最初は尊敬もされたりしたが、直ぐに化けの皮が剥がれた。

 

同学年のコミュニティは少しだけ変わった。軽音楽部の人達ということは概ねあっているが、ちょっと派手な人達と絡むようになった。

絡むようになったと言うか…昔から関わりはあったが、あまり酒飲んだりタバコ吸ったりというのがいけ好かなかったから程々の付き合いにしていた。

 

けどまあ人間不思議な物で、交わらない世界が交わることもある。

生涯禁酒禁煙派だった自分は16歳にしてグレーな世界へと一気に舵を切ってしまった。

 

風俗、ギャンブル、酒、タバコ。

新宿歌舞伎町、若しくは新宿西口。

気がついたら学校帰りに新宿に入り浸り、幸い大麻とかは流石に手出してないくらいの人間になってしまっていた…

 

でもこれはあくまでも夜の自分、夜の同級生との関わり方で、昼間は昼間の自分、昼間の同級生とまた別の関わりを持っていた。

 

こういう二面性のある自分に酔いながら、「俺は大人だろ?」と言わんばかりの顔をして、気持ちの悪い立ち振舞をしていた。

今となっては寒気がする用な行為だ。でも自分の根本は変わっていない。見直すためにひたすら自分の過去と対峙していく。

 

(軽音についての続きを書こうと思ったけど全然書けなかった)

 

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